『バビロン2』絶望の話
『ただし少女はレベル99』そしてレベル1の僕ら
汀こるもののレベルシリーズ(?)の1巻。
中学生の出屋敷市子は不可能を可能にする女だ。すごい超能力?というか魔法を使える。頭のネジもぶっとんでる。何考えてるか判んない。地味。根暗。異分子。
ゆえに出屋敷市子はいじめられる。しかしそのいじめすらも跳ね除ける能力を持っている。出屋敷市子に害なそうとしたものは決まってなにかおかしな現象に巻き込まれ記憶も定かではなくなる。精神的にも達観していて多少のことでは動じない。she is a perfect human.まさにレベル99。神である。本人によればまだ神ではないらしいが。
出屋敷市子の周りで起こる事件も大概おかしなことばかりだ。というか周りに集まってるやつらがおかしい。天狗とか狐とか、家族構成とか親戚関係はちょっとよくわからないけど、お父さんはいるようだ。ものすごい変人だけど。良識という名の皮をかぶった宇宙人みたいな。出屋敷市子の関係者は、他にもたくさんいるようだけど、全員が全員おかしな人だと思う。
そんな、そんなレベル99な、出屋敷市子が、こわいのだ。
かわいいし、なんでもできちゃう出屋敷市子はすごいけど、彼女をみても出屋敷市子のようになりたいとは思わない。それにレベル1がどう頑張ったってレベル99にはなれない。現実世界のレベルは簡単にはあがらない。毎日学校に通って地道に勉強しても、毎日会社に通って真面目に仕事しても、どれだけ経験値を稼いでも、自分たちにできることなんて限られていて、不可能はずっと不可能なままで、僕たちはずっとレベル1のままなんだ。
続刊のタイトルにも表されているように、この物語はレベル99の出屋敷市子が徐々にレベル1に近づいていく物語なのかもしれない。そうしていくにつれ出屋敷市子は己の無力さをしっていくだろう。レベル99は完璧だ。しかしそれゆえに人間ではない。神だ。中学生女子で神とかちょっと。「かみちゅ」じゃないんだから。
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- 作者: 鳴子ハナハル,ベサメムーチョ
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 2006/01/27
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出屋敷市子はその力でさんざん暴れまわる。時には力の暴力とでもいえるような清々しいまでのチートっぷりを発揮してあらゆる事件を解決する。
和風伝奇ファンタジーな連作短編だが。最後にはそれまでの物語が収束していく。
それぞれの短編自体も独創的で面白いが、やはり出屋敷市子の成長物語としての側面が一番強く、続編の内容が非常に気になる1冊だった。
割りと納得感のあるあとがき
密室の中で繁栄する〔少女庭国〕
久しぶりにやばい本を読んでしまったので全力でシェアさせていただきたい。
まずあらすじを引用する。
卒業式会場の講堂へと続く狭い通路を歩いていた中3の仁科羊歯子は、気づくと暗い部屋に寝ていた。隣に続くドアには、こんな貼り紙が。卒業生各位。下記の通り卒業試験を実施する。“ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ。時間は無制限とする”羊歯子がドアを開けると、同じく寝ていた中3女子が目覚める。またたく間に人数は13人に。脱出条件“卒業条件”に対して彼女たちがとった行動は…。扉を開けるたび、中3女子が目覚める。扉を開けるたび、中3女子が無限に増えてゆく。果てることのない少女たちの“長く短い脱出の物語”。
あらすじに目を通してもらえればわかると思うが、いや逆に一切わからないとは思うが、ご察しの通り本書は不条理SFである。しかしただのバトルロイヤル物とは断じて違う。
わけもわからぬうちに密室に閉じ込められ、”卒業試験”という無理難題を押し付けられた少女は、扉を開けていくことにより瞬く間に13人に増える。扉を開けた向こう側には同じ境遇の少女が眠っていたのだ。いくつの扉を開けても増え続ける少女たち、終わらない密室に絶望し、憔悴しきった少女たちは”卒業試験”に取り組んでいく。
貼り紙に書かれた内容はひどくわかりにくいがつまりところ、少女が何人に増えたとしても「生き残れるのは一人だけ」ということなのだ。そう、一人が生き残るまでこの不条理な試験は続く。運命を受け入れ、それでもなお、最後まで懸命に生き抜く少女たちの姿の尊さたるや!!
少女たちが最後に選んだ生き様もすごく素敵なのだが、自分が好きなのはそんな少女たちの描き方――セリフの書き方にすごく胸がトゥンクする。以下本文より引用。
「ここどこ誰あなたたち」
「私仁科他四名、あなたここってどこだか判る」
「何? どこここ」女子は辺りを見回した。「何の部屋?」
「あなたも気づいたらここで寝てたの」
「私が何?」
「歩いてたらここに寝てたんじゃないの?」
「ていうかあなたら何?」
「私らも気付いたら閉じ込められてたの。卒業式行く途中だったんだけど」
「卒業式? 終わったの?」
「判んない。あなたも気付いたらでしょ?」
「何が」
「閉じ込められてんのが」
「私閉じ込められてんの?」
「多分」
「まじ何で」
「知らないよ。あのさ、説明するから聞いてくれる?」
「いいけども?」
「私たちも閉じ込められたの歩いてて気付いたら意識なくて。起きたらなんか知らない部屋じゃん。ドア開けたら隣でも人が寝てたの」
「どういうこと?」
「よく判んないけどそこの紙見て」
「何この紙?」
「私らのいた部屋にもこれ貼ってあったの。怖くない?」
「どこ貼ってあったの?」
「いたとこ」
「学校?」
「じゃなくてさ」羊歯子は当惑した。「え、いってる意味そんな判んない?」
ああこのわかりますか? 判らないけど分かる会話!!
主語とか述語とか接続詞とかぽんぽんすっとばして展開していくこの要領の得なさにすごくリアルな女子中学生を感じてしまう。理不尽にも密室に閉じ込められた女子中学生がこんな調子でお互い殺したり殺さなかったり生きたり死んでみたりする。面白くないわけがないんだなこれが。
閉じ込められた者たちが急速に現状を理解して(理解しないと話が進まないし)脱出を試みるのが密室を舞台にしたサスペンスやバトルロイヤルの作りだと思うが、女子中学生はまず共感を選ぶ。理解より先に不理解を共感する。しかし共感する者を増やしていく度に、より深い地獄へと落ちていく。
調べてみるとこの著者は他の作品でも同じようにリアルな口語体を交えた文体を使っているようで、しかしこの作品ほどこの文体に意味がある作品もないのではなかろうか。
一度読めば、この世界への尊さとかこうして小説という物語に触れている自分たちの儚さとか生きていることの窮屈さだとか人間社会についてまわるもろもろの汚い部分だとかに考え巡らすことを余儀なくされる。そんなお話でした。みんな読め。
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自分が面白いと思った本が、他の人にも読まれる喜びは何物にも代えがたい「翼を持つ少女 BISビブリオバトル部」
「ビブリオバトル、GO!」
読書が好きな人ならば誰しもが抱く感情がある。
「自分が面白かった本を他の人にも読んでもらいたい、もっとたくさんの人に知ってもらいたい。」そんな感情。
かくいう自分もブログという形式で様々な本の感想を書きなぐっているわけだが。
他人に本をおすすめするスタイルの一つに“ビブリオバトル”というものがある。これは実際に日本各地で行われているゲームで、大会まで開かれている。参加者は自分が面白いと思った本を持ち寄り、5分間のスピーチでその本の魅力を伝える。全員の発表が終わったあとに、「一番読みたくなった“本”」に対して投票を行い、チャンプ本を決定する。
そんなビブリオバトルを描いた史上初のビブリオバトル小説がこの「翼を持つ少女 BISビブリオバトル部」である。
SFに傾倒し、SFを愛する少女・伏木空はビブリオバトルというものを始めて知って、自らも好きなSF小説をおすすめするためにビブリオバトルに参加する。自分が大好きな小説で誰が読んでも面白いだろうと思うとっておきの一冊を発表する。5分しかない短い時間で、どうやってその本の魅力を伝えるか、どんなエピソードを紹介するか、悩んで、苦心して、そうしてようやく行われた発表は散々な失敗に終わる。
「これは絶対面白い!」と思った本が誰にも触れられない歯がゆさ、自分の感想が歯牙にもかけられない悔しさは深く共感できる。自分もそんなときは「なんでこんな感想なんて書いているんだろう」と落ち込んだりもする。それでも、「他の人にもこの本を読んで欲しい」という気持ちは止められないのだ。彼女もSFを読んでみたいと思わせるために失敗を乗り越え再挑戦する。
「自分がおすすめした本が読まれて嬉しい」という本読みならあたりまえに抱く感情が本書では描かれていく。実際に、彼女が読んでいる本は面白いものや、読んでみたくなるものばかりで、本当にSFが好きなんだというのが伝わってきて読み手まで幸せになれる。面白い本をみんなで読むのは、それだけで幸せなのだ。
本書には、SF好きですこし不思議な少女・伏木の他にも個性的で魅力的なキャラがたくさん登場する。
ノンフィクションに傾倒し、伏木と対になるクール系の少し堅物な男子・埋火武人。
関西弁トークで他を魅了し、少しかっこつけしいな部長・安土聡。
学術系の本に特化した知的クールな先輩・菊池明日香。
意外な本のチョイスに定評がある小動物系男子・輿水銀。
どんな本も腐女子目線で見てしまう小金井ミーナ。
そんな彼らのおすすめする本も一癖や二癖もあるものばかり、ジャンルもみごとにバラバラで、これが小説だということを忘れそうになるくらいだ。この本1冊の中に、読んでみたいと思わせる本がたくさん詰まっていて、著者の読者家ぶりもうかがえる。著者が本気でおすすめしたいと思っているから、深みや面白さが生まれているんじゃないだろうか。
「翼を持つ少女 BISビブリオバトル部」読書好きにはぜひ読んでいただきたい1冊である。
「半分の月がのぼる空〈2〉waiting for the half‐moon」秋庭里香のヒロイン性について
ずるいのは秋庭里香のヒロイン性だ。きっとそうだ。
「半月」ヒロインの秋庭里香は、ライトノベルのヒロインとしてはいささかキツ目の性格をしている。病気が原因なのか、元からなのかはわからないが機嫌が悪い時はすこぶる機嫌が悪いし、主人公の裕一に対して当然のように命令をする。こちらの腹が立って、逆に少しでも怒らせようものなら、今度は口さえ聞いてもらえなくなる。そんな里香に情けない裕一はいつも根負けしてしまう。そう、彼女は根っからの女王様体質で、裕一は里香の犬なのだ。
そんなわけだから二人が喧嘩しても、最初に謝りに行くのは裕一だ。最初どころか、1回の謝罪じゃ許してもらえないから何度も何度も許しを請う。1巻最後に多田さんから受け継いだエロ本が里香に見つかり、それが彼女の琴線に振れるのだが、高校生なんだしエロ本の1冊や2冊(実際1000冊以上にも及ぶコレクションらしいが……)許容してほしいところである。裕一も開き直ってもおかしくないところだが、ここで開き直れないのはやはり「考えてしまう」からなのだ。喧嘩したまま、里香が死んでしまったらどうしよう。そんな思考が脳裏に浮かぶのだ。
病床の秋庭里香はただそれだけで、大事な存在だということを強く認識させる。いついなくなるやもしれないから、大事にしなければいけない。裕一だけではない、読んでいる読者も例外ではなく、里香を大事にしなければと思ってしまう。秋庭里香は大事にしたくなるヒロイン性を持っているのだ。
この巻では裕一はそんなヒロイン性の逆を考える。すなわち「自分が死んだら/怪我をしたら、里香はどんな顔をするだろうか」そんなイタズラは全て空回りしていくのだが、そんな日常やその他のやりとりを通じて、死ということについて考えていく。
終盤では、なかなか表にでない里香の心情が、宮沢賢治の「銀貨鉄道の夜」に重ねて語られる。彼女の心情を知ると、よりいっそう彼女を大事にしなければと思うのだ。
やはり、秋庭里香はずるい。
![半分の月がのぼる空〈2〉waiting for the half‐moon (電撃文庫) 半分の月がのぼる空〈2〉waiting for the half‐moon (電撃文庫)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51QSZNXN8XL._SL160_.jpg)
半分の月がのぼる空〈2〉waiting for the half‐moon (電撃文庫)
- 作者: 橋本紡,山本ケイジ
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2004/02
- メディア: 文庫
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「半分の月がのぼる空 looking up at the half-moon」生きているって感じがする
人が生きているのを実感するのってどんな時だろう。
怪我や病気をした時か、身近で誰かが生まれたり死んだ時か、それとも楽しい嬉しい体験をした時か。
自分が生きているのを実感するのは、面白い本を読み終えた時だ。
なかでも本書は一際、人間の生というものを強く意識させる。
とまあなんかそれっぽいこと言ってみたけど、本作もライトノベルにありがちなただのボーイ・ミーツ・ガール物の一つだったりする。
高校生の戎崎裕一は入院した先の病院で美少女・秋庭里香と出会う。
どんな美少女と言っても病院という所に長いこと入院しているからにはそれなりの事情というものがあって……といった感じだ。
この作品が面白いのは、読んでいるとついつい「考えたくなる」ことだ。
ヒロインの秋庭里香は主人公にとって大事な人である。大事な人がつい明日いなくなるかもしれない、自分の前から消えてしまうかもしれない。そんな考えを徒然巡らせてしまう。
これは病院という特異な環境がそうさせるのだが、つまるところは病院だろうが病院じゃなかろうが一緒である。大事にしていたものが自分の前からなくなってしまうかもしれない。その可能性はどこにいようが変わらない。ただ、それを強く意識する機会はなかなかない。
クライマックスでは、そんな難しいこと全部をかなぐり捨てるように、二人は夜の山に向けて原付で疾走する。迷いは捨てきれず、想定外の事態も起こり、主人公は何度も迷う。引き返そうかと考える。
それでも走った二人の姿は、初めて読んだ時から、半分の月のその美しいただずみとともに脳裏に焼き付いている。
いつ読んでも傑作。
![半分の月がのぼる空―looking up at the half‐moon (電撃文庫) 半分の月がのぼる空―looking up at the half‐moon (電撃文庫)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51T477HK88L._SL160_.jpg)
半分の月がのぼる空―looking up at the half‐moon (電撃文庫)
- 作者: 橋本紡,山本ケイジ
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2003/10
- メディア: 文庫
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アニメ・ラノベファンタジーの”呪い”を描くメタライトノベル「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」
あらゆる能力で他の種族に劣りながらも、勇者と聖剣という独特の”システム”によって長らく地上の覇者たり得た「人間」。この物語はそんな「人間族」が滅んだ後の話である。
勇者はそれにふさわしい背景、業や宿命などを背負った者から任命され、それらの業が説得的であるほど力を発揮できる。ドラマチックなバックボーンを持てば持つほどより強い力を発揮できる。逆を返せば、主人公足りえる背景がなければまともに力を発揮できない。そういう物語は望まれないのだ。
だから今作のヒロイン達は求められている、より悲痛な背景を、業を、宿命を。
人間族ではないヒロイン達、その他の種族らは、皮肉にも世界を滅ぼしたと言われる人間族のそのシステムを使って戦い続けている。
勇者”個人”を神輿に担ぎ上げ無責任を決め込む者、年端もいかぬ少女たちを兵器として戦場に送り込む者。それを知っていてもなお戦場へと出向く者。戦うことだけが存在意義な者。戦いだけが存在意義の者に恋を教える者。新たな存在意義を見つける者。
全て、既存のファンタジーへの痛烈なカウンターだ。
深い背景を持つことを強いられている。そうじゃないと強さを発揮できないから。敵に勝てないから。だからこの物語はどこまでも悲しさを増していく。
描かれているのは呪いだ。読者がより楽しむためにキャラは傷ついていく。
終末の世界に唯一残った人間はどう動いていくのだろうか。
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終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (角川スニーカー文庫)
- 作者: 枯野瑛
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2014/12/01
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