『キノの旅 XIX the Beautiful World』の「プロローグ」と「エピローグ」について
「キノの旅」というシリーズは連作短編なわけだけど、その各巻での印象の大部分を占めるのは「プロローグ」と「エピローグ」だと思っている。
他に印象的な話がないわけではないが、読んでから時間が経ち、後々になって特定の巻を振り返るときに自分は「そういえばあの巻はああいうプロローグだったなあ」という風に思い返す。他に面白い話があったとしても、エピソード単位ではなく巻という単位で振り返った時にまず頭に浮かぶのはプロローグでありエピローグなのだ。
そんなわけで毎年の恒例と化しているこのシリーズに大きく期待している点はプロローグとエピローグが面白い話かどうかなのだが、だからこそ声とフォントを大にしていいたい。
19巻のプロローグとエピローグはつまらなかった。
まずプロローグ読んだ段階でオチが読める。いや、まあそれだけなら別に構わないのだけど、この話aとbに分ける必要ある?
時系列順に書いても成立しそうだし、プロローグから読んで考えさせられるようなテーマも感じない。何よりプロローグで設定を明かしすぎてエピローグへの期待感が薄い。重要そうなワードを先出ししちゃってるから頭のなかでも膨らませる余地が無い。正直、もっとプロローグに適した話があったと思う、「助けに来た国」とか。というか「助けに来た国」をプロローグにすればいいじゃん、こっちこそオチが肩透かし感あるんだから先にオチ割ったほうが面白いタイプの話だと思うんだけど。
別に他の話でもいいけど起承転結のある話をプロローグとエピローグにしてほしい。今回の話、起・承で終わってる。
他の話は面白かった。特に「天才の国」から「秀才の国」への流れが相変わらず皮肉たっぷりで好み。
![キノの旅 (19) the Beautiful World (電撃文庫) キノの旅 (19) the Beautiful World (電撃文庫)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51CxXwD0m9L._SL160_.jpg)
キノの旅 (19) the Beautiful World (電撃文庫)
- 作者: 時雨沢恵一,黒星紅白
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2015/10/10
- メディア: 文庫
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密室の中で繁栄する〔少女庭国〕
久しぶりにやばい本を読んでしまったので全力でシェアさせていただきたい。
まずあらすじを引用する。
卒業式会場の講堂へと続く狭い通路を歩いていた中3の仁科羊歯子は、気づくと暗い部屋に寝ていた。隣に続くドアには、こんな貼り紙が。卒業生各位。下記の通り卒業試験を実施する。“ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ。時間は無制限とする”羊歯子がドアを開けると、同じく寝ていた中3女子が目覚める。またたく間に人数は13人に。脱出条件“卒業条件”に対して彼女たちがとった行動は…。扉を開けるたび、中3女子が目覚める。扉を開けるたび、中3女子が無限に増えてゆく。果てることのない少女たちの“長く短い脱出の物語”。
あらすじに目を通してもらえればわかると思うが、いや逆に一切わからないとは思うが、ご察しの通り本書は不条理SFである。しかしただのバトルロイヤル物とは断じて違う。
わけもわからぬうちに密室に閉じ込められ、”卒業試験”という無理難題を押し付けられた少女は、扉を開けていくことにより瞬く間に13人に増える。扉を開けた向こう側には同じ境遇の少女が眠っていたのだ。いくつの扉を開けても増え続ける少女たち、終わらない密室に絶望し、憔悴しきった少女たちは”卒業試験”に取り組んでいく。
貼り紙に書かれた内容はひどくわかりにくいがつまりところ、少女が何人に増えたとしても「生き残れるのは一人だけ」ということなのだ。そう、一人が生き残るまでこの不条理な試験は続く。運命を受け入れ、それでもなお、最後まで懸命に生き抜く少女たちの姿の尊さたるや!!
少女たちが最後に選んだ生き様もすごく素敵なのだが、自分が好きなのはそんな少女たちの描き方――セリフの書き方にすごく胸がトゥンクする。以下本文より引用。
「ここどこ誰あなたたち」
「私仁科他四名、あなたここってどこだか判る」
「何? どこここ」女子は辺りを見回した。「何の部屋?」
「あなたも気づいたらここで寝てたの」
「私が何?」
「歩いてたらここに寝てたんじゃないの?」
「ていうかあなたら何?」
「私らも気付いたら閉じ込められてたの。卒業式行く途中だったんだけど」
「卒業式? 終わったの?」
「判んない。あなたも気付いたらでしょ?」
「何が」
「閉じ込められてんのが」
「私閉じ込められてんの?」
「多分」
「まじ何で」
「知らないよ。あのさ、説明するから聞いてくれる?」
「いいけども?」
「私たちも閉じ込められたの歩いてて気付いたら意識なくて。起きたらなんか知らない部屋じゃん。ドア開けたら隣でも人が寝てたの」
「どういうこと?」
「よく判んないけどそこの紙見て」
「何この紙?」
「私らのいた部屋にもこれ貼ってあったの。怖くない?」
「どこ貼ってあったの?」
「いたとこ」
「学校?」
「じゃなくてさ」羊歯子は当惑した。「え、いってる意味そんな判んない?」
ああこのわかりますか? 判らないけど分かる会話!!
主語とか述語とか接続詞とかぽんぽんすっとばして展開していくこの要領の得なさにすごくリアルな女子中学生を感じてしまう。理不尽にも密室に閉じ込められた女子中学生がこんな調子でお互い殺したり殺さなかったり生きたり死んでみたりする。面白くないわけがないんだなこれが。
閉じ込められた者たちが急速に現状を理解して(理解しないと話が進まないし)脱出を試みるのが密室を舞台にしたサスペンスやバトルロイヤルの作りだと思うが、女子中学生はまず共感を選ぶ。理解より先に不理解を共感する。しかし共感する者を増やしていく度に、より深い地獄へと落ちていく。
調べてみるとこの著者は他の作品でも同じようにリアルな口語体を交えた文体を使っているようで、しかしこの作品ほどこの文体に意味がある作品もないのではなかろうか。
一度読めば、この世界への尊さとかこうして小説という物語に触れている自分たちの儚さとか生きていることの窮屈さだとか人間社会についてまわるもろもろの汚い部分だとかに考え巡らすことを余儀なくされる。そんなお話でした。みんな読め。
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聞いてみた。「ラノベのしわざ」にされる理由
先日知り合いと会話してたら、ふとした折にちょうど「それラノベみたい!」ということを言われた。ラノベの認識自体人によって様々だし知らない人に同じことを言われても気にせず流すところだが、その知り合いというのが普段全くラノベを読まない人で、なぜ普段読まなく特に詳しくもないラノベに似ているという認識を持つに至ったのか、なぜ「ラノベみたい」なのか「アニメ」や「マンガ」じゃ駄目なのか。せっかくなので聞いてみた。
すると本人も、あまり深く意識していなかったようで、なぜ「ラノベみたい」と言うに至ったか考えながら教えてくれた。
- 昔は「エロゲみたい」「ドラマみたい」と言っていた。
- 最近のアニメの中でも、ラノベ原作は目立つ。
- 知らないタイトルのアニメはなんとなく全部ラノベ原作に見える。
- ラノベはいろんなジャンルがあるから、何かの作品に該当していそうな気がする。
- 知らないから、逆に無責任に言える。
とまあそんな感じのことが聞き出せた。
要約してみると「ライトノベルはいろんな作品があるから、なにかのシチュエーションを見かけた時に『ラノベみたい』と言っておけば、おそらく何かしらの作品にあてはまり同意を得られそう」ということのようだ。
ラノベには特徴づけられる要素がない。それゆえに、なにかしらにつけて「ラノベみたい」と言われてしまうのではないだろうか。
「アニメ化されるラノベの書き方」なんてない
これだけの作品が溢れる中、似たような設定と導入の作品が同じタイミングで放送されたことが面白かったです。「アニメ化されるラノベの書き方」みたいなマニュアルの存在を信じたくなるような。
ライトノベル原作アニメの共通点 ~ 学戦都市アスタリスク vs 落第騎士の英雄譚 - カモメのリズム
これと似たような言及は最近やたらと見かけるが、アニメ化されるラノベは決してアニメ化されるような要素を並べて書いているわけではない。書かれた要素の人気が出たからアニメ化されたのだ。
もちろん多くのライトノベルにとってアニメ化というのは大きな目標の一つに違いはないから、アニメ化しやすい設定やアニメ映えなどを考えながら書く作家も皆無ではないだろう。しかし今を生きるラノベ作家にとってアニメ化より重要なのは、次の巻を出してもらうことではないだろうか。
ライトノベルはそのほとんどがシリーズ物ではあるが、作者が望んでシリーズを書き続けられる作品は全体でもごく少数だろう。どんな人気作家だろうが売れなければ続きを書かせてもらえない。「物語シリーズ」がどんどん続く一方で「世界シリーズ」や「真庭語」は待ちぼうけだし、「灼眼のシャナ」が円満完結しても「A/Bシリーズ」は永遠に続きが出ないのだ。
続きを書くために創意工夫を凝らしたものが大勢に評価され、初めてアニメ化までこぎつけるのだ。最初からアニメ化される書き方なんてものがあるなら誰も苦労はしていない。様々な作品がいろいろな要素を書き連ねた中で、人気が出る要素を書けた作品のみがアニメ化されるに至った。だからアニメ化されるような人気作品は必然的にどこかの要素がかぶってしまうのだ。
さて、しかしだ。同じ原作もののアニメの中でも特にライトノベル原作は似寄った作品が多く見られるのも事実だ。漫画原作のアニメでは似た設定の作品が多いなんて話は聞かない。なぜライトノベル原作ばかりこうまで似寄ってしまうのか。それはライトノベルのサイクルの早さに起因するだろう。
ライトノベルは漫画に比べ、刊行スピードが早い。1年で4冊出るのはざらで、筆の速い作家は2ヶ月に1冊、もしくはそれ以上のペースで続刊を出していく。対して漫画はどうしても描くのに時間がかかる。雑誌に載って、それが単行本に纏まるまでの期間も考えると、作者の考えた内容が世間多くの読者の目に触れるまでに1年以上経っていることだってあるだろう。さらにその作品の人気が出て、シリーズが続いてアニメ化されるとなると5年以上の歳月はくだらない。読者にウケるだろう要素を思いついても、すでに何かの連載をしている漫画家は気軽に別作品を描き始めるわけにはいかない。そうするうちに、思いついた時には面白かった要素も、時が経って風化してしまう。
その点、生産スピードの早いライトノベルは読者の声のフィードバックも容易だ。今人気の要素をリサーチし数ヶ月後には作品として発表できる。いろんな設定を試しながら読者の感触がいいものを調べつつ作品を書ける。
特にWEB小説ではこれが顕著で、ランキングという人気が可視化される機能もあるおかげで、人気の要素はこぞって真似される。そのせいか流行り廃りのサイクルも早い。書き手は常に最新の流行のリサーチが求められる。決してどの作者もアニメ化作品の二番煎じ三番煎じをやろうとしているわけではない、どの作品も純粋に流行の最先端を研究している。ライトノベルはその生産サイクルの早さゆえに発表時期がかぶり、アニメ化のタイミングまで重なってしまうのだ。
結果としてアニメ組から「○○のパクリ」だとか「テンプレ乙」だとか叩かれる。
発表当時では最新の流行が、アニメ化されるころには“テンプレ”化してしまった。誰も最初からテンプレートを使用しているわけではない。
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学戦都市アスタリスク<学戦都市アスタリスク> (MF文庫J)
- 作者: 三屋咲ゆう,okiura
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- 作者: 海空りく
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物語シリーズ作者の文字欠け小説
① 最初に感想文を制限なく執筆
② 五十音46字から、任意の6字を選択。
③ 残った40字を、くじ引きで10字ずつ、4グループに分ける。
④ その10字を使用しないで、①の感想文をグループごと4パターン、執筆する!
⑤ 濁音・半濁音・拗音・促音は、基本の音と同じ扱い。音引きはその際の母音とする。
⑥ ②の6字は、どのパターンでも使用可。
フリーワード:い う か し を ん
禁止ワード:あ な に ね ほ ふ む め る ろ
文字減らしという小説テクが存在す。特定の文字を使わずに小説を書くという試しだ。
この物語はその文字を欠くテクを用いて、3つの短編を4通り書き直すという実験小説だ。
最初の一作は妹が殺人してしまうストーリー。登場キャラも妹や友達、母、父のようなその他の言葉で置き換えやすく、制限も緩いのでまだわかりやすい。
次の一作は命をかけた博打を打つストーリー。この物語から文字の制限もきつく変じていくのだが、最初と比べ「将棋崩し」「参加者1(いち)」だったり固有の用語がキー用語として使われたり、「そこの山へ登山しよう」といった格言の引用も存在し、そのようではいかずとも厳しい物語へと昇華した。
最後の一作は意外、対話式小説で、「君の世界では~」という感じで語り部が読者に語らうのだ。対話式というだけでもすごく実験的だというが、この段では制限は十六夜(いざよい)に匹敵せし文字数。全文字数の四半が制限されようという最中、真っ当の短編を執筆できようか。そういう興味の付きぬ物語だ。
自身では一番簡単という制限でも良い説話を書く予感せず。ただ、この実験的試行は読み人より書き人が優として楽しいのではと思うのだ。
①の感想文:西尾維新のリポグラム小説「りぽぐら!」
パターンA:西尾維新のリポグラムノベル「りぽぐら!」
パターンB:西尾維新の制限文字ノベル
パターンC:維新記す損字小説
維新記す損字小説
① 最初に感想文を制限なく執筆
② 五十音46字から、任意の6字を選択。
③ 残った40字を、くじ引きで10字ずつ、4グループに分ける。
④ その10字を使用しないで、①の感想文をグループごと4パターン、執筆する!
⑤ 濁音・半濁音・拗音・促音は、基本の音と同じ扱い。音引きはその際の母音とする。
⑥ ②の6字は、どのパターンでも使用可。
フリーワード:い う か し を ん
禁止ワード:お け さ ち と の へ も や ら
字を損ずる小説技法がある。はじめに決めた字を使わずに小説を書く試みである。
本書はそういう損字技法を使用して、短な三つ話を四パターンに修正する試し書き小説である。
まずはじめは実妹が人殺しをする話。出てくる人物だって実妹や友人、ママ、パパみたいで他言語に置換が容易、緩い縛りなためまだ理解が簡単。
ふたつ目は生命を賭した遊戯をする話。ここから字の縛りだってきつくなってくるんだが、はじめに比較すると「将棋崩し」「遊技人A」なんていう固有名詞がキーワードになっていたり、「そこに高い場所があるゆえに」みたいな名ゼリフを引用する場面があって、そうでなくたって厳しい内容になっている。
みっつ目は意外な二人称小説であり、「君ん世界では~」なんて感じで語り手が読み手に語ってくる。二人称って縛りでもうすでにかなり革新的試みであるに飽きず、これここに至っては縛りは16字。全字数より四半数以上が縛りになる中で、意味通じる小説を完成に運ぶにいたるか。そんな興味が付きない話だ。
自分では至極簡単な縛りだってろくな文章を記せる気がしない。ただ、文章を使う革新的試みは読む側より遥かに書く側が楽しいんじゃなんて考えてしまう。
①の感想文:西尾維新のリポグラム小説「りぽぐら!」
パターンA:西尾維新のリポグラムノベル「りぽぐら!」
パターンB:西尾維新の制限文字ノベル
パターンD:物語シリーズ作者の文字欠け小説
西尾維新の制限文字ノベル
① 最初に感想文を制限なく執筆
② 五十音46字から、任意の6字を選択。
③ 残った40字を、くじ引きで10字ずつ、4グループに分ける。
④ その10字を使用しないで、①の感想文をグループごと4パターン、執筆する!
⑤ 濁音・半濁音・拗音・促音は、基本の音と同じ扱い。音引きはその際の母音とする。
⑥ ②の6字は、どのパターンでも使用可。
フリーワード:い う か し を ん
禁止ワード:く こ そ た つ て ぬ は ま り
わざと文字を制限する文章技法がある。最初に決める文字を使用せずに文を書き記す。
本書、かのような技法をもちい、三本のショートショートを四回書き直すという挑戦の産物。
一本目(いちほんめ)。妹が人を殺める掌編。登場キャラも妹や友人、お母さん、お父さんなど他のワードに置き換えやすく、制限も緩いから全然わかる。
二本目。命がけのギャンブルをする掌編。一本目(いちほんめ)以上に文字の制限もシビアになるのに加味し、一本目(いちほんめ)に比べ「将棋崩壊」「プレイヤー1」などのユニークな名詞がキーワードにされ、「山があるから」などの名言の引用すらされ、制限にかかわらず厳しい。
三本目など、なんと二人称の地の文が使用され、「君の世界なら~」という感じにメインキャラクターが我々に問いかけをする。二人称という制限しかあらずとも大いに試験のようなのに、最終掌編になると制限文字数が十六夜(いざよい)と同じに。全文字数の1/4(よんぶんのいち)以上が制限される中、正当な掌編を書き上げられるのか。というような興味津々な掌編。
自分なら十字の制限さえ、良い文章を書ける気がしない。しかし、かの試験のような催しなら読む側に非ず、挑戦する側のほうが面白いんじゃないかと思うのさ。
①の感想文:西尾維新のリポグラム小説「りぽぐら!」
パターンA:西尾維新のリポグラムノベル「りぽぐら!」
パターンC:維新記す損字小説
パターンD:物語シリーズ作者の文字欠け小説