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西尾維新の制限文字ノベル

りぽぐら! (講談社ノベルス)

 

① 最初に感想文を制限なく執筆

② 五十音46字から、任意の6字を選択。

③ 残った40字を、くじ引きで10字ずつ、4グループに分ける。

④ その10字を使用しないで、①の感想文をグループごと4パターン、執筆する!

⑤ 濁音・半濁音・拗音・促音は、基本の音と同じ扱い。音引きはその際の母音とする。

⑥ ②の6字は、どのパターンでも使用可。

 

フリーワード:い う か し を ん

禁止ワード:く こ そ た つ て ぬ は ま り

 

わざと文字を制限する文章技法がある。最初に決める文字を使用せずに文を書き記す。

本書、かのような技法をもちい、三本のショートショートを四回書き直すという挑戦の産物。

 

一本目(いちほんめ)。妹が人を殺める掌編。登場キャラも妹や友人、お母さん、お父さんなど他のワードに置き換えやすく、制限も緩いから全然わかる。

 

二本目。命がけのギャンブルをする掌編。一本目(いちほんめ)以上に文字の制限もシビアになるのに加味し、一本目(いちほんめ)に比べ「将棋崩壊」「プレイヤー1」などのユニークな名詞がキーワードにされ、「山があるから」などの名言の引用すらされ、制限にかかわらず厳しい。

 

三本目など、なんと二人称の地の文が使用され、「君の世界なら~」という感じにメインキャラクターが我々に問いかけをする。二人称という制限しかあらずとも大いに試験のようなのに、最終掌編になると制限文字数が十六夜(いざよい)と同じに。全文字数の1/4(よんぶんのいち)以上が制限される中、正当な掌編を書き上げられるのか。というような興味津々な掌編。

 

自分なら十字の制限さえ、良い文章を書ける気がしない。しかし、かの試験のような催しなら読む側に非ず、挑戦する側のほうが面白いんじゃないかと思うのさ。

 ①の感想文:西尾維新のリポグラム小説「りぽぐら!」 

パターンA:西尾維新のリポグラムノベル「りぽぐら!」

パターンC:維新記す損字小説

パターンD:物語シリーズ作者の文字欠け小説

りぽぐら! (講談社ノベルス)

りぽぐら! (講談社ノベルス)

 

 

西尾維新のリポグラムノベル「りぽぐら!」

りぽぐら! (講談社ノベルス)

 

① 最初に感想文を制限なく執筆

② 五十音46字から、任意の6字を選択。

③ 残った40字を、くじ引きで10字ずつ、4グループに分ける。

④ その10字を使用しないで、①の感想文をグループごと4パターン、執筆する!

⑤ 濁音・半濁音・拗音・促音は、基本の音と同じ扱い。音引きはその際の母音とする。

⑥ ②の6字は、どのパターンでも使用可。

 

フリーワード:い う か し を ん

禁止ワード: き す せ ひ み ゆ よ れ わ

 

リポグラムという作話テクニックがある。特定の文字を使わないで物語を書くという実験だ。

本作はそのリポグラムのテクニックをもって、三本の短編で三四(さんし)が十(とお)飛んで二通り記し直そうという実験ノベルである。

 

1作目は妹が殺人した話。出てくる人物も妹や友達、母、父など他の言葉に置換が楽で、制限も軽いためまだ理解が簡単だ。

 

2作目は命をかけた博打を打つ話。この話から文字の制限もハードになってくるのだが、1作目に比べると「駒雪崩」「参加者1(いち)」などの独自の名詞が大事な言葉になっていたり、「そこに山があるからだ」などの格言を用いることもあって、そうじゃなくてもベリーハードな物語になっている。

 

3作目はなんと対話系ノベルであり、「汝の空間では~」なんて感じで語り部が読者に語りかけてくる。対話というだけでもかなり実験的なのに、この段になると書けない文字は十(とお)飛んで六文字。全文字の半の半が書けない中で、まともな短編を書き上げることが可能か。そんな感心のやまぬ話だ。

 

自分なら一番簡単な制限でもろくな文を書けると感じない。ただ、この実験風な体験は読者にまさり、作者のほうが楽しいのではと思ってしまう。

 ①の感想文:西尾維新のリポグラム小説「りぽぐら!」 

パターンB:西尾維新の制限文字ノベル

パターンC:維新記す損字小説

パターンD:物語シリーズ作者の文字欠け小説

りぽぐら! (講談社ノベルス)

りぽぐら! (講談社ノベルス)

 

 

西尾維新のリポグラム小説「りぽぐら!」

りぽぐら! (講談社ノベルス)

 

 

リポグラムという小説技法がある。特定の文字を使わずに小説を書くという試みだ。

本作はそのリポグラムの技法をもって、3つの短編を4通り書き直すという実験小説である。

 

1作目は妹が人殺しをする話。登場人物も妹や友達、母、父など他の言葉で置き換えやすく、制限も緩いためまだわかりやすい。

 

2作目は命をかけたギャンブルをする話。この話から文字の制限もきつくなってくるのだが、1作目に比べると「将棋崩し」「プレイヤー1」などの固有名詞がキーワードになっていたり、「そこに山があるからだ」などの格言の引用もあって、そうじゃなくても厳しい内容になっている。

 

3作目はなんと二人称小説であり、「君の世界では~」なんて感じで語り部が読者に語りかけてくる。二人称というだけでもかなり実験的なのに、この段になると制限は16文字。全文字数の1/4以上が制限される中で、まともな短編を書き上げられるのか。そんな興味の付きない話だ。

 

自分なら一番簡単な制限でもろくな文章を書ける気がしない。ただ、この実験的試みは読む側より書く側のほうが楽しいのではと思ってしまう。

パターンA:西尾維新のリポグラムノベル「りぽぐら!」

パターンB:西尾維新の制限文字ノベル

パターンC:維新記す損字小説

パターンD:物語シリーズ作者の文字欠け小説

 

りぽぐら! (講談社ノベルス)

りぽぐら! (講談社ノベルス)

 

 

7月4日「文化祭の夢に、おちる 」サスペンス風SF仕立て青春小説

文化祭の夢に、おちる (講談社BOX)

 

桐乃高校の文化祭には、他の高校にはない二つの特徴がある。

一つは、三年に一度しか行われないこと。もう一つは春でも秋でもない七月の五日に行われるということ。

この物語は、そんな文化祭の前日。7月4日に起きた不思議な事件を描いた話だ。

 

文化祭の前日、準備中の事故に巻き込まれた相原円は、突如誰もいない世界へと放り込まれる。どこまでも深く、青い空。華々しく飾られた学校。しかし、そこには自分以外の生徒は誰一人として存在しないのだ。

なんともなしに不気味な空間と空気感の描写がうまく、すごく魅せる描き方で世界に惹きこまれるのだが、締りがない。

面白かったのだが、最終的にどんな話だったのかと聞かれるとひどくあやふやになる。記事タイトルのように“サスペンス風SF仕立て青春小説”とでも言うしかない。

サスペンスというにはオチが弱く、SFと言い切るには仕掛けが弱く、青春小説という言葉が一番しっくりくるが、思い切りがない。

事故が起きた時の緊迫や誰もいない校舎の空恐ろしさは好きなのでどうにかオススメしたいのだけど、どうやら自分にも思い切りが足りない。

表紙とタイトルでピンと来た人は読んで損はないと思う。

 

 

発売日2012年の7月から3年後の7月に。 

文化祭の夢に、おちる (講談社BOX)

文化祭の夢に、おちる (講談社BOX)

 

 

自分が面白いと思った本が、他の人にも読まれる喜びは何物にも代えがたい「翼を持つ少女 BISビブリオバトル部」

翼を持つ少女 BISビブリオバトル部

 

 

ビブリオバトル、GO!」

 

読書が好きな人ならば誰しもが抱く感情がある。

「自分が面白かった本を他の人にも読んでもらいたい、もっとたくさんの人に知ってもらいたい。」そんな感情。

かくいう自分もブログという形式で様々な本の感想を書きなぐっているわけだが。

他人に本をおすすめするスタイルの一つにビブリオバトルというものがある。これは実際に日本各地で行われているゲームで、大会まで開かれている。参加者は自分が面白いと思った本を持ち寄り、5分間のスピーチでその本の魅力を伝える。全員の発表が終わったあとに、「一番読みたくなった“本”」に対して投票を行い、チャンプ本を決定する。

そんなビブリオバトルを描いた史上初のビブリオバトル小説がこの「翼を持つ少女 BISビブリオバトル部」である。

 

 

SFに傾倒し、SFを愛する少女・伏木空はビブリオバトルというものを始めて知って、自らも好きなSF小説をおすすめするためにビブリオバトルに参加する。自分が大好きな小説で誰が読んでも面白いだろうと思うとっておきの一冊を発表する。5分しかない短い時間で、どうやってその本の魅力を伝えるか、どんなエピソードを紹介するか、悩んで、苦心して、そうしてようやく行われた発表は散々な失敗に終わる。

「これは絶対面白い!」と思った本が誰にも触れられない歯がゆさ、自分の感想が歯牙にもかけられない悔しさは深く共感できる。自分もそんなときは「なんでこんな感想なんて書いているんだろう」と落ち込んだりもする。それでも、「他の人にもこの本を読んで欲しい」という気持ちは止められないのだ。彼女もSFを読んでみたいと思わせるために失敗を乗り越え再挑戦する。

「自分がおすすめした本が読まれて嬉しい」という本読みならあたりまえに抱く感情が本書では描かれていく。実際に、彼女が読んでいる本は面白いものや、読んでみたくなるものばかりで、本当にSFが好きなんだというのが伝わってきて読み手まで幸せになれる。面白い本をみんなで読むのは、それだけで幸せなのだ。

 

本書には、SF好きですこし不思議な少女・伏木の他にも個性的で魅力的なキャラがたくさん登場する。

ノンフィクションに傾倒し、伏木と対になるクール系の少し堅物な男子・埋火武人

関西弁トークで他を魅了し、少しかっこつけしいな部長・安土聡

学術系の本に特化した知的クールな先輩・菊池明日香

意外な本のチョイスに定評がある小動物系男子・輿水銀

どんな本も腐女子目線で見てしまう小金井ミーナ

そんな彼らのおすすめする本も一癖や二癖もあるものばかり、ジャンルもみごとにバラバラで、これが小説だということを忘れそうになるくらいだ。この本1冊の中に、読んでみたいと思わせる本がたくさん詰まっていて、著者の読者家ぶりもうかがえる。著者が本気でおすすめしたいと思っているから、深みや面白さが生まれているんじゃないだろうか。

 

「翼を持つ少女 BISビブリオバトル部」読書好きにはぜひ読んでいただきたい1冊である。

 

翼を持つ少女 BISビブリオバトル部

翼を持つ少女 BISビブリオバトル部

 

 

「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (2) 」彼女たちにとって救いとは

終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (2) (角川スニーカー文庫)

 

人間の代わりとなって大剣を振るい、世界を滅ぼす薄命の少女たち。彼女たちにとって救いとはなんなのだろう。

正直、1巻を読み終わった時に期待したことはほとんど描写されなかったので消化不良感が強い。いや、それぞれ絶望しかない状況から動き出してはいるけど、それ以上に悲劇性が強まったので踏み込みが足りてない状況か。妖精たちは必死に戦うし、後方の主人公たちも心を悩ませながら今できることをしようと懸命だが、しかし次々と明かされる悲壮は登場人物の前に読者の心を折るほどだ。

終末の世界の住人はそれぞれ何らかの「救い」を胸に生きているのだろうが、自分には彼ら彼女らにとっての「救い」がなんなのかがわからなくなってくる。

戦いしか知らないものが戦い以外を教えられるのは「救い」なんだろうか。どれだけあがいても「死」が運命づけられている存在が「生」を教えられるのは「救い」なんだろうか。

 

 

この物語の、読者でしかないことが、猛烈に歯がゆくてたまらないのだ。

 

 

 

「半分の月がのぼる空〈2〉waiting for the half‐moon」秋庭里香のヒロイン性について

半分の月がのぼる空〈2〉waiting for the half‐moon (電撃文庫)

 

ずるいのは秋庭里香のヒロイン性だ。きっとそうだ。

「半月」ヒロインの秋庭里香は、ライトノベルのヒロインとしてはいささかキツ目の性格をしている。病気が原因なのか、元からなのかはわからないが機嫌が悪い時はすこぶる機嫌が悪いし、主人公の裕一に対して当然のように命令をする。こちらの腹が立って、逆に少しでも怒らせようものなら、今度は口さえ聞いてもらえなくなる。そんな里香に情けない裕一はいつも根負けしてしまう。そう、彼女は根っからの女王様体質で、裕一は里香の犬なのだ。

そんなわけだから二人が喧嘩しても、最初に謝りに行くのは裕一だ。最初どころか、1回の謝罪じゃ許してもらえないから何度も何度も許しを請う。1巻最後に多田さんから受け継いだエロ本が里香に見つかり、それが彼女の琴線に振れるのだが、高校生なんだしエロ本の1冊や2冊(実際1000冊以上にも及ぶコレクションらしいが……)許容してほしいところである。裕一も開き直ってもおかしくないところだが、ここで開き直れないのはやはり「考えてしまう」からなのだ。喧嘩したまま、里香が死んでしまったらどうしよう。そんな思考が脳裏に浮かぶのだ。

病床の秋庭里香はただそれだけで、大事な存在だということを強く認識させる。いついなくなるやもしれないから、大事にしなければいけない。裕一だけではない、読んでいる読者も例外ではなく、里香を大事にしなければと思ってしまう。秋庭里香は大事にしたくなるヒロイン性を持っているのだ。

 

この巻では裕一はそんなヒロイン性の逆を考える。すなわち「自分が死んだら/怪我をしたら、里香はどんな顔をするだろうか」そんなイタズラは全て空回りしていくのだが、そんな日常やその他のやりとりを通じて、死ということについて考えていく。

 

終盤では、なかなか表にでない里香の心情が、宮沢賢治の「銀貨鉄道の夜」に重ねて語られる。彼女の心情を知ると、よりいっそう彼女を大事にしなければと思うのだ。

やはり、秋庭里香はずるい。